実際のところ出会い系サイト

「恋人の間は○○だから好き。ある種、論理的。」
「夫婦は□□だけど好き。ある種、感情的。」
モテの求道者であるイケメンな友人に聞いてなるほどと思った言葉である。

人物を語る時「包容力」と言う言葉が使われることがある。一般的意味合いを察するに「ありのままの自分を受け入れてくれる度合」と言う使われ方をしているっぽい。・・・単に都合よく「自分は変わる努力をせず、相手にわがままを聞いてもらう」という意味に見えることもあるが(笑)。

実際のところ出会い系サイトは、人間関係において「すべての価値観が合致する相手」なんてーことはほぼあり得ない。仮にそう感じるとしてもそれは一部の分野にすぎず、盲目的な状態であることがほとんどだ。生まれも育ちも年齢も場合によっては国籍や性別も違うのに同じ価値観になるわけがない。ゆえに「価値観の合う人」を探すのは私からすると「ムダな努力」に見える。

現実にはどちらか片方が、あるいは両者がその違いを許容する努力をすることで人間関係は保たれる。私がいつものように他人の地雷を踏んだとしても、「まあ、ハナーだから仕方がないか」と受け入れられる、あるいは諦められることで大きな問題にはならないわけだ(笑)。一応異なる意見の場合は伝えてもらえればこちらも修正する努力はするのだけど。。。知らせてもらえなければ「不可知ゆえ対応できない」となりかねない。

私のごく近しい友人を見ても単に「価値観が近い」という要素はさほど重要ではなかったりする(むしろ価値観が大きく異なる古い友人がかなり多い)。より重要視されているのは互いにその相手に気遣いをするのが苦にならない、むしろ楽しいという気持ちが持てることだろうか。

「同じ価値観である必要はない。お互いに相手のありのままを無理なく受容できる」というのが私の理想とする人間関係である。トムとジェリーとかルパンと銭形とか。

やはり最後は受容力が問われる。「最後はハートよりもハート様(多少の打撃にはびくともしない)」が肝心と言うことだな、うむ。

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ